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1行紹介

短歌と現代詩をこよなく愛する、立原まことのお部屋です。

自己紹介文

名   前 : 立原まこと

星   座 : みずがめ座

誕 生 日 : 196X/01/21

血 液 型 : AB型 (変人か天才か?群れるのが苦手)

出 生 地 : 東京大学附属病院のなか

現在棲息地 : 東京都武蔵野市の壊れかけた一軒家
        (近くに岡井隆さんがいるらしい、そういえば
  近所の大型古書店には「謹呈」栞つきの歌集
  が沢山!何故だろう?)

主な出没地 : 玉川上水沿い、神保町界隈など

家族の構成 : 妻(小学校の音楽専科、ピアノが弾けます)
        息子(現在中2、テニス小僧)

趣味=人生 : 短歌(未来短歌会会員)
        現代詩(青草舎主幹、メンバー目下立原ひとり・・・)
        小説などの読書(最近、すぐに眠くなる・・・)
        執筆を少々(挫折感を味わう為の・・・)
        美術、映画、音楽鑑賞 
        旅(古都逍遥、海を見に行く) 
        料理(心落ち着くひととき♪)
        何故か格闘技観戦(大相撲、K1、PRIDE)

落ち着く所 : 喫茶店、書店、自宅
        博物館(東京国立博物館の常設展示)
        美術館(箱根芦ノ湖畔の成川美術館)
        文学館(鎌倉文学館、山梨県立文学館)
         

落ち着かん所: 会社、新橋のようなオヤジの多い所、雑踏

仕事とは? : きらい、くつう

好きな作家 : 福永武彦、宮本輝、村上春樹、柳美里、渡辺淳一、
        三島由紀夫、司馬遼太郎、灰谷健次郎、宮澤賢治、
        ヘッセ、(ギリシャ神話)、アンデルセン、グリム童話、

好きな詩人 : 立原道造、谷川俊太郎、辻征夫、中原中也、
        萩原朔太郎、吉原幸子、リルケ、ボードレール、

好きな歌人 : 道浦母都子、栗木京子、俵万智、若山牧水、
        石川啄木、西行、中城ふみ子

好きな映画 : タルコフスキー、大林宣彦、

好きな音楽 : 中島美嘉、Garnet Crow、day after tomorrow、
        バッハ、ベートーヴェン、ブラームス、ショパン、
        チャイコフスキー、 (ばらばらやん♪)

好きな美術 : 象徴主義絵画、星野富弘、おおた慶文、日本画、
        古都の建築、仏像、庭園

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◆ 生育史 ◆

196X/01/21 東京大学附属病院にてこの世に生を受ける
      文京区小石川からすぐに父の実家である製本所のある
      新宿区西五軒町に転居、神楽坂に程近い高速道路の下
      地下鉄の上で育つ

196X/06/11 妹・〈亀子〉誕生
      その後の幼年期はいつも行動を共にしていた
      二人でごっこ遊びばかりしていた、堅牢な二人だけの
      空想の城であった

1964/    東京オリンピックの年、一葉の写真で新聞をみつめる
      幼い写真、よく見ると新聞が逆さまである  

196X/04   新宿区立の小学校に入学
      隣りの席の女の子に恋をしたことしか憶えていない
      両想いである、多分
      夏、プールで溺れる、死を想った 

196X/08   葛飾区東新小岩に転居、2Kのアパートであった
      窓を開けると国電の操車場が見えた 

(図書室で、ドリトル先生シリーズと出会い夢中で読む、ケストナ
 ーも好きであった ジュール・ヴェルヌの「八十日間世界一周」
 「十五少年漂流記」を読んで、空想の世界に遊び、小説もどきを
 書くようになる) 

(通っていた母校はその後、廃校になってしまった)

197X/04   某私立中学に入学
      たまたま合格してしまう、その後6年間、男子校での
      暗い青春が幕を開く
      
〈毎年のように夏になると、母親と妹と三人で、実家である山形県
 庄内地方の羽黒町に出かけた 東京育ちの子供にとって、青田の
 広がる風景は驚きであった 羽黒山の長い石段を駆け上がり、残
 雪の鳥海山、月山を眺め、カブトムシやどじょうを捕っては遊び
 暮らしていた 小学校高学年になると、母と妹が先に帰ったあと
 一人で残って遊ぶようになった 孤独癖の芽生えである
 夏の終わる頃、青田は枯れいろに変わっていた) 

(中学時代の読書は、夏目漱石に始まり、ヘッセ、ヘミングウェイ
 など 詩歌等は教科書で読んだ島崎藤村「落葉松林」の美しさに
 魅了されたがあまり興味が湧かなかった 石川啄木は耽読した)   

197X/04   某私立高校に入学、エスカレーターである
      ワンダーフォーゲル部に入部して山登りを始める

(山登りのきっかけは山形での月山登山、高層湿原の美しさに心奪
 われまた出会いたいという欲求に突き動かされてである
 しかし元来心肺系が脆弱なのか、仲間との集団登山では身体がつ 
 いていけず、自然、単独行に走ることになる
 ワンゲルの顧問は数学教師であった 理数系は大の苦手であり、
 その存在は常に脅威であった
 授業で席順にあてて問題をやらせているので安心してぼんやりし
 ていると、その教師は愛情をこめて私の名を呼ぶのである 幾度
 黒板の前でうなだれたまま失意を味わったことか
 ある秋のこと、奥秩父の甲武信ヶ岳に夜行電車で仲間と出かけた
 顧問教師は別行動で、駅で落ち合うことになっていた ところが
 他の三人が行きたくない、と言い出し帰ってしまい、現地に行っ 
 たのは私のみ、苦手な教師と二人の山行である
 しかし、先生は私のペースに合わせて歩いてくれて、途中で茸を
 採りながらの楽しい山行となり、山小屋でも人生についていろい
 ろな話をしてくれた 思い出の山行である)

198X/04   某私立大学教育学部に入学、八王子の山奥である
      入学早々恋をする 軽薄な人間と見られることになる
      本当の自分は苦悩する哲学青年である、と信じつつ、
      好奇心の赴くままにいろんなことに手を出す

(〈児童文化研究会〉で児童文学にかかわる 佐藤さとるのコロボ
 ックル物語は面白かった 先輩の下宿で少女コミックに読み耽る
 高橋亮子作品に涙する 〈福祉研究会〉や〈天文研究会〉、それ
 から〈歩こう会=山岳部〉にも顔を出す やはり軽薄である)

198X/10/26 母が逝去する
      大学一年の時に乳癌が見つかり手術、下宿生活を送る
      私は何も出来なかった、しなかった、悔やまれる
      大学三年の時に転移が見つかり入院 肺癌であり手術
      はできないので抗がん剤投与などしか出来なかった
      夏休みの一週間、毎日通う 食欲がなく、アイスクリ
      ームを美味しそうに少しだけ食べていた 

(母親の死、という欠落感・喪失感は重くその後の人生に影を投げ
 かける 教育実習にも行けなくなり、教員免許を取得しないまま
 卒業することになり、就職も見合わせることになる)

(8X年の11月、ふとしたことで若き詩人たちと出会う 現代詩の同 
 人誌「絵馬舎」に参加 高知の癖のある詩人や登校拒否の太宰教
 信者(生まれてすいません、が口癖)らと毎晩のように激論交し
 深夜の街を彷徨する)

198X/03   大学を無事に四年で卒業
      しかし就職はしなかった アルバイトで食いつなぎつ
      つ文学を模索する 
      
(そんな日々に、アルバイト先で生涯の友人・Mと出会う 山形出 
 身の三歳年長の精神的詩人である シェークスピアや京都・奈良
 を知る上で、彼の存在がすべてであった
 晩秋の京都へ二人で旅行、哲学の径や南禅寺を逍遥、正伝寺の庭
 について書かれた立原正秋の「日本の庭」を紹介される
 その後の仕事のこと、恋のこと、何かにつけてMは相談相手とな
 ってくれた)

(ある恋愛の終わりに高知に戻っていた詩人のもとへ旅に出る そ
 れを機に恋を終わらせることとなる 8X年06月のことである 足
 摺岬や桂浜、もう一人の詩人のいる越智町など流浪の日々である
 10月に体力も資金も使い果たし帰京) 

198X/12  某翻訳出版会社にアルバイトで勤務、その後正社員に
      (神保町) 

(行きつけの喫茶店に、いつもカウンターでアンニュイなポーズで
 煙草を吸う女性がいた 見知らぬ人に声をかけることなどできな
 い人間なのに、どういうきっかけで声をかけたか定かではないが
 彼女が国文系の出版社の編集者で、短歌の同人誌を出しているこ
 とを知ることになる 何冊かもらったその雑誌に掲載されている
 彼女の短歌の緊張感に満ちた質の高さに驚く その影響か、折に
 触れて短歌を作った形跡が日記等に残されている)

(神保町は大型書店、古書店の街、喫茶店の多い学生街、多くの文
 学的出会い、映画や音楽、美術との出会いがあった
 福永武彦、タルコフスキー、バッハ、ベートーヴェンなどを知り
 語り得る人と出会い、苦い恋も知った) 

199X/03   武蔵野在住の〈猫娘〉と結婚する
      〈猫娘〉は大学の同級生であるが、それぞれの友人が
      結婚していてかれらが縁結びである 大学時代には、
      知ってはいたけど喋ったことがなかったのである
      憧れの山の手、武蔵野暮らしの始まりである

199X/02   長男〈猿田彦〉誕生
      寒い日であった、予定日より早く産まれるように努力
      の甲斐なく?きっちり予定日に出現する頑固者である

199X/08   千駄ヶ谷にあるソフトハウスに転職する

1995/07   会社が突如、倒産する、港区芝のソフトハウスに全員
      拾われる
      この年は、一月に阪神大震災、三月に地下鉄サリン事
      件、五月に家を購入、そして七月に倒産、何たる一年 

(生きていくことは苦しいのである 会社の社風に合わせることは
 途轍もなく難しく、精神的ストレスに苦しむことになる
 そんな日々を支えたのが司馬遼太郎の「竜馬がゆく」であった)

2004/05   沼津の牧水記念館にて天啓を受ける
      意識的に短歌を作り始める
      この年の「短歌」(角川書店)6月号の特集は俵万智
      であったのも運命が味方していたかもしれない

2004/12   未来短歌会に入会する
      選者として、道浦母都子さんを選び、師事する

2005/03   ゆうすげの会にお誘いをいただき参加
      道浦母都子さんと初めて出会う
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