2005/11/09

いつのまに秋…

冷たい乾いた風が木々の葉を散らしていく。
この時空間に「夏」は訪れることなく、
限りなく冬に近い秋へと私は舞い降りてきた。

本田美奈子の死。

あたかも一人の死により触発されたかのように、
私の内部でいまだ小さいながらもひとつの光が
点ぜられたような気がする。

同世代、もしくは少し若い世代の死は悲しいものだ。
今の私は仕事をしていない、学ぶことからも遠い、
いわゆるニートである。 たぶん・・・。
でも、少なくとも健康であり、飢えてもいない。

本田美奈子のように生きたい、とも思うのだけど、
誰恨むことなく、笑顔で、自分の夢を追い求めるには、
大分ひねくれねじくれてしまっている。

夏の暑さは苦手と遊び暮らし、
冬の寒さは苦手と冬ごもりを夢想する、
私はおろかなきりぎりすである。

私ができること、したいこと、それはこの世の外にあること。
できないこと、したくないこと、
快不快と感情が価値観の前提なのである。

久しぶりの復活なのに愚痴っぽい。
短歌も不振、題詠マラソンはウイルス君のせいでリタイヤ。
困ったものだ。

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2005/06/23

塚本邦雄の歌集

今日は朝から雨降り。仕事は休暇を取ってしまった。それなりの理由があるのだけれどそれはまた別の話。

午前中はCD、DVDをBOOKOFFで処分。
(24枚で6,740円か・・・)
午後は雨上がりの神保町へ。

先日逝去された塚本邦雄さんの歌集を三冊買いました。

①寵歌變 塚本邦雄歌集 短歌新聞社 新現代歌人叢書・1

②歌集・日本人霊歌 短歌新聞社

③塚本邦雄歌集 短歌研究文庫16

①は、短歌新聞社の新シリーズです。
大辻隆弘さんや奥村晃作さんなどもこれから、です。

水に卵うむ蜉蝣よわれにまだ悪なさむための半生がある

などなど、珠玉の自選500首です。
東京堂書店には逝去を受けてたくさん平積みされてましたが、
他の書店では見かけませんね。

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2005/06/20

どくだみ茶作り

土曜日(6/18)は、自宅の裏に生い茂っているどくだみを刈り取って、
物干し竿に干してみました。
どくだみ茶を作ってみようと気まぐれで思い立ったのですが、
果たしてどんな味なんだか、期待と不安相半ば、というところ。
しかし、今朝になっても一向に乾燥してくれなかったな。

うまくいったら、まだ一杯自生しているので、商品化を・・・?

星野富弘さんの詩画集にこんな詩が、

   「どくだみ」

  おまえを大切に
  摘んでいくひとがいた
  臭いといわれ
  きらわれ者のおまえだったけれど
  道の隅で
  歩く人の足許を見上げ
  ひっそりと生きていた
  いつかおまえを必要とする人が
  現れるのを待っていたかのように

  おまえの花
  白い十字架に似ていた

いつもは生えるに任せ、枯れるに任せていた
どくだみと、今年は少しだけ言葉を交しながら過ごしています。

六月も残り十日。
やがて夏が、やって来ます。
dokudami

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2005/06/17

ウィーン少年合唱団

昨日(6/16)、妻と二人でウィーン少年合唱団のコンサートに行ってきました。

何故か公式HPでは出てこない武蔵野市民文化会館での公演。
高齢のご近所の方々が多かったですね。

たった24人の10歳から14歳の少年たちと
ピアニスト兼指揮者の怖そうなおじちゃんだけの舞台。

少年たちはいかにもやんちゃそう。
それが歌い出した途端に、ボーイソプラノの妙なる調べが
大ホール中に鳴り響きました。

・ベートーヴェン 『歓喜に寄す』
・J.シュトラウスⅠ世 『ラデツキー行進曲』

など圧巻でした。

指揮者の一番近くにいた少し恰幅のよろしい少年がエース格。
全員で歌っていても一際高く響く美しい声で、
その少年のソロ 『アヴェ・マリア』はプロの女声ソプラノよりも
美しく、鳥肌が立つくらいでした。

声変わりしたら消えていってしまうという、
永遠ではないものの美しさ、なのかもしれません。

もうひとり目立っていた少年がいて、
歌は上手いし、踊りもばっちり、おまけに
アコーディオンを弾くは、ドラムを叩くはで大活躍。

顔はテニス界の暴れん坊マッケンローそっくり、
と言えばいかにやんちゃに見えるか想像つくでしょう。

雨の中でしたが、とても心地よいそよ風が吹いたような、
愉しく心洗われるひとときでした。

短歌はパス、お待ちください(できないかも・・・)。

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2005/06/16

ゆうすげの会/歌稿

2005年6月26日(日)のゆうすげの会のための歌稿を本日作り、
発送致しました。六月の花の題詠の試み。失敗かな~。


  六月の花々

夜の雨に紫陽淡く発光し美空ひばりの逝ける六月

青年は惑いの夏に佇ち尽くす栗の花房重くそよがせ

群れるのは嫌いと傘を差し出してクチナシの香と我を抱くひと

広がりてたちまち消える水の輪をヤマボウシ咲く下に見ており

結ばれし露は光を反射させあやめ科の鬱を開く花菖蒲

ajisai

kuri

kuchin

yamaboushi

hanashoubu

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題詠マラソン2005 /006~010

006:時  間違って生まれてきたんだ少しだけ五十年だけ時を違えて
007:発見  ピラミッドで発見された石棺には人間嫌いの王ならいません
008:鞄  一昨日の気まずい空気はくしゃくしゃに鞄のなかに仕舞ったままで
009:眠  ぬばたまの闇に描ける夢の絵は安眠まくらを裏返して見よ
010:線路  線路なき雄武から北見枝幸へと徒歩で歩くは廃線前なり

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2005/06/14

題詠マラソン2005、出走!001~005

よ~やくの出走です。
たぶん休み休みなりますが…。

本日の投稿分をこちらに。
ちょっと気分を変えて歌ってみました。

あ、でも、実は本名でエントリーなんです。
あの頃は、立原ではなかったのです。

001:声  西風が鈴懸の実を吹き抜けるそんな声だった もう忘れたけど

002:色  海に沈む夕陽金色撒き散らし何故だか君は蒼く透けてて

003:つぼみ  私の内なるつぼみは硬いまま夢で叫んだら落ちてしまった

004:淡  海に棲む青き魚を淡水に住まわせたような居心地わるさだ

005:サラダ  あかねさすまばゆき皿に取り分けしサラダ菜の上ゆかし幼虫

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未来・歌稿を送る

6月15日締切の未来への歌稿、
今日の昼休みに郵便局にて、「速達」で出しました。
今までは9首採られていたけど、今度は駄目かも…。

他にも15日締切の課題があるのだが、どうしよう。
ゆうすげの会の5首も手付かず、もひとつどうしよう。

yamabousi
職場の近くの公園でヤマボウシが咲いていました。
実は食べられるそうです。
花を見ての所感を述べる前に、
食べることに執着する自分が情けない。
「秋に球状の 集合果になり、紅熟して食べられる」
ですって! ああ、やっぱり駄目だ。
情けない、情けない、ああ~…。

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2005/06/13

私のなかの原・物語

記憶とは、曖昧なものだ。
一週間前の昼食に何を食べたかを言い当てられる人間は、恐らくは
ほとんどいないであろう。
今朝方に見た夢でさえおぼろげであり、日々のどうでもいいのだが
やらなければいけない些事に忙殺されているうちに、一切は忘却の
彼方に押し流されてしまうのである。だがしかし、それらの忘却の
断片は、私の内部に降り積もり、やがて思わぬ逆襲を企てているの
かもしれない。

死の刹那にみるという走馬灯のような人生の断片、
私はそのときに何をみるのであろうか?

子供の頃に読んで、その内容だけが何故か記憶に刻まれ、
その原典がわからなくなった物語の話をしようか。
道浦母都子さんにも、ゆうすげの会の際に渡したエッセイもどき。
読み返すと恥ずかしい限りの稚拙さだけど、そのままここに公開。

誰か~、知りませんか~。
    
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    『天使と悪魔』

〈欠落〉は時に記憶をより強固なものにする。〈モノ〉にせよ、
〈コト〉や〈ヒト〉にせよ、手にし得たものよりも捉え損ねたもの
の方が、滓のように傷のように、記憶に沈潜し或いは刻み込まれ、
より深く強く〈私〉を構成する見えざる要素となっていくことが
多いのではなかろうか。

少年の頃であろうか。私は、以下に紹介する物語を確かに読んだの
だが、それが一体誰の作品なのか、タイトルさえも思い出すことが
できないのである。ただ、物語の記憶ばかりが鮮やかに残されてい
るのであるが、それも歳月により変質・風化し、脚色が加わってい
るのは否めないこと。あたかも私の血肉を分けた兄弟であるかのよ
うに、不即不離の物語が私の中で呼吸し、成長を続けているのであ
る。大学生の私は、その原典を捜すためにグリム童話集を、アンデ
ルセン童話集、O・ヘンリー短編集などをひもといてみたのだが遂
には見つけ出せなかった。その後も所属していた現代詩の同人誌に
エッセイを書いて、そこに「捜索願」めいた一文を載せたり、これ
はと思う博識の徒に尋ねたりしたが、答えを得ることが叶わないま
ま齢を重ねるに至っている。
脆弱な記憶能力のせいか、多くの読書経験は記憶として蓄積されて
いないのに、この物語だけはいつまでも心に引っかかり、私を捉え
て離さないのである。あたかも全ての書籍が背表紙ばかりを見せて
いる図書館の中、この物語だけが読みさしのままに記憶のテーブル
にそっと置かれてあるかのように・・・。

こんな話である。
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一人の貧しい絵描きの青年がいた。ある時、教会を飾る壁画を描く
画家を探すために公募コンクールがあり、青年も一枚の絵を出品す
ることにした。彼は天使の絵を描くために、それに相応しいモデル
を探し歩いた。とある貧民街を歩いていて、それはそれは愛くるし
く天真爛漫そのものの幼子を見出し、その親にお願いしてその子を
モデルに天使の絵を完成させ出品した。その絵は堂々一等となり、
その後は画家として輝かしい人生を歩むこととなった。
幾歳月が流れ、大画家となった彼のもとに教会から大作を描く依頼
があった。彼の構想の中で、悪魔が重要な鍵を握っていた。悪魔を
完全なものとして描くために、この世のものとは思えない極悪非道
の相を持つモデルが必要になった。彼は街外れにある監獄を訪ねて
みた。そこで身の毛のよだつような人相の悪い、モデルに打ってつ
けの囚人を見出した。何人もの罪もない人間を殺めたというその男
は死刑執行を待つばかり、荒んだ濁った眼で画家を睨みつけていた。
やがて彼をモデルに悪魔はその姿を完璧に画布に定着することがで
き、大作は完成し、その絵は市民の賞賛を浴び、国の隅々からもそ
の絵を観るために多くの人々が訪れるようになり、ついに国王から
は勲章を戴くこととなった。
彼は、その絵を描かせてくれた囚人に御礼を言いたくて、監獄を訪
ねた。彼は、ぼろぼろになった一冊のデッサン帖を携えていた。そ
こには彼の画家としての出発点であった天使のデッサンが一葉、含
まれていた。囚人は面倒くさそうにデッサン帖を手に取った。それ
でも花や動物のデッサンを囚人は熱心に眺めていた。しばらく無言
で、濁った眼でデッサン帖をめくっていた囚人の同じ眼から突然、
大粒の涙がこぼれ落ちた。画家は、ただただ驚いて囚人を見つめた
るばかりであった。嗚咽がいつまでも続くなか、切れ切れに囚人が
口を開いた。 
「これは俺です。今でも憶えています。御礼にとあなたは飴玉を三
つくれたことも憶えています。忘れもしません。その晩です。盗賊
がやって来て親父とお袋が殺されたのは。悲しみよりも憎しみが勝
っていたんでさ。いつか復讐を、と念じながら俺自身が盗賊と同じ
ような悪さをはたらくようになり今はこうして死を待つ身です。」
囚人は、天使のデッサンを見つめながら涙を落としていた。その瞳
には最早悪魔は消え失せ、壮年ながらまるで老人のように小さな存
在としか見えなかった。画家は大いに驚き、天使と悪魔を交互に見
比べるほかなかった。
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一人の人間に内在する天使と悪魔の物語、という部分はこの梗概で
伝わっているものと思う。
私はいつの日にか、この物語の原典に出会えるのだろうか。答えは
思いのほか近くに、〈青い鳥〉のようにすぐそばで見出される瞬間
を待っているのかもしれない。

寂しさはたとえばピアスなき耳の穿たれしその欠落に似て

これは、欠落感を詠った私の拙い歌である。欠落感や喪失感は、可
能であるならそれを埋めたいと願ってやまない主観的な傷なのであ
るが、あたかもジグソーパズルのピースを当てはめていくように、
完成させることが必ずしも幸福であるとは限らないだろう。何故な
ら、ピースをはめていく行為あるいは状態こそが幸福の姿であり、
生きて在るということであり、完成はすなわち忘却そのものかもし
れないのであるから。

多くの欠落によって成り立っている〈私〉を眼に見える形にする手
段として、私は短歌という定型詩をいつしか選んでいた。それはあ
るいは詩であっても、小説やエッセイであってもよかったのかもし
れない。しかし、あの頃、壊れかけていた私にはあまり時間がなか
ったのである。あの頃がいつの頃であったのか、その特定はここで
はしない。
とても稚拙な比喩で表現するならば、私が手にしていたのは金魚す
くいの網なのであった。上手にすくわなければすぐに破れてしまう
和紙の張られた網である。私のなかの、他者からは見えないところ
にある悲しみとか憤りという感情や想いは、短歌という表現形式に
おいても、すくい取ろうとすると網は忽ち破れてしまった。まして
や詩や小説は金魚ではなく錦鯉であったから、唯一手にし得たすく
い網ではどうにもならなかったのである。

いつの日にか、私の原風景とも言うべき「天使と悪魔」の物語の典
拠へと辿り着き、そうして短歌という定型詩で私という一回性の実
在を捉え得る瞬間が訪れることを夢に見つつ、今日もまたこの欠落
を抱いた〈私〉と不器用に向き合い、生きにくい〈世界〉のただな
かで戸惑いつつ生きている。手には破れた金魚すくいの網を持って
―――。

座るべきベンチは雨に濡れて光り傘の陰にて花散らすわれ

                                    (了)

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2005/06/10

3年前の6月のこと

5月も憂鬱だけど、6月はもっと憂鬱。
梅雨時には心の中まで雨水が染み込んでくるような、そんな気分。
靴の中がぐじゅぐじゅなるあの居心地の悪さにも似た気分。

亀井戸の藤も終りと雨の日をからかささしてひとり見に来(こ)し
                               伊藤左千夫
池水は濁りににごり藤なみの影もうつらず雨ふりしきる
                                 〃                                
>

こんな伊藤左千夫の歌を口ずさむと、少しは気持ちが晴れるのかな?

昭和23年6月19日、13日に玉川上水に入水自殺した太宰治の遺体が見つかったこの日が桜桃忌。私の自宅から自転車で15分ばかりのところに太宰治の眠る禅林寺があります。太宰ファンが押しかけるというこの日に出かけたことはありません。「池水は…」の歌は、太宰が好きで色紙に書いた墨蹟が今も残されています。

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それは2002年6月28日金曜日のことであった。今から3年前のことである。
私は、まだ若かりし頃の思い出の品々を片づけるために、実家のある東京下町の家を訪れた。
十代後半から二十代後半にかけて十年あまりの歳月の、私の生きた証しの断片たちが整理され、それなりの量になったので、宅急便で送ることにしたのである。
翌日、荷物は届かなかった。翌々日、やはり届かない。
さすがに週が変わり、私は焦り業者に問い合わせた。追跡すると自宅最寄の拠点までは確かに届いており、自宅への積荷としてトラックに積まれたことがわかった。
平行宇宙(パラレルワールド)の私が受け取ったのだろうか。現実世界(リアル)の私は、私の過去を詰めたタイムカプセルを受け取ることが出来なかった。
この宅急便滅失事故により、私は30万円という損害賠償金を受け取った。しかし、お金では買えない私の過去は、もう戻ることはないのである。そんな大切なものを何故、宅急便に委ねてしまったのか。過失は半分、私の方にある。

「4月は残酷な月」と詩に書いたのはT.S.エリオット。
3年前から、私にとっての残酷な月は6月になってしまったのである。

◎この時に喪くしてしまった私の過去は、

・少年時代からの読書記録ノート

  高校や大学の頃に、いつ、何を読んでいたのか、
  振りかえる術は残された日記や手帖しかない。

・出した手紙の控え(恋文、文学仲間と交した書簡、など)
・もらった手紙

  出した手紙の控えはカーボン紙で写したものであった。

  メールも携帯電話もなかったあの頃、手紙が全てであった。
  同じ職場にいても、想いを伝えるのに直筆の手紙を書いた。
  言葉足らずが原因で生じる喧嘩も、手紙のなかで起きた。
  「食べる」という行為の悲しさを書いたら噛み付いてきたっけ。

  高知にいる詩人との往復書簡はB5の原稿用紙。
  癖のある筆跡を秘めた封筒は分厚かった。

・詩、小説、エッセイなどの生原稿

  活字やガリ版にならなかった多くの作品が消失した。
  あるいはそれでよかったのかもしれない。
  
・写真

  あの夏の数かぎりなきそしてまたたつたひとつの表情をせよ
                               小野茂樹

  いくつもの夏が、喪われた。

・映画、演劇、コンサート、美術展覧会などのチラシ、パンフレット
  『廃市』などの映画パンフレットをもとに、映画論、福永武彦論を
  書こうと思っていた。それが第一目的の実家への訪問であった。
  あの頃は今では創造もできないくらい几帳面に、すべてのチラシ
  などをファイリングしていたのである。
  記憶を喚起する媒体たちは何処へ消失してしまったのだらうか。

・旅行の記録
 
  数々の登山記録、イーハトーヴ旅行の記録、古都逍遥の記録…
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そうして人は本来、日々何ものかを失いつつ生きているのかもしれない。
眼に見えるか、見えないかそれだけの違い、なのかもしれない。
所有している物も、思い出も、来世に持っていくことはできないのだから。

あ~、なんて厭世的。雨の日はいかん。
  

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