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2005/06/23

塚本邦雄の歌集

今日は朝から雨降り。仕事は休暇を取ってしまった。それなりの理由があるのだけれどそれはまた別の話。

午前中はCD、DVDをBOOKOFFで処分。
(24枚で6,740円か・・・)
午後は雨上がりの神保町へ。

先日逝去された塚本邦雄さんの歌集を三冊買いました。

①寵歌變 塚本邦雄歌集 短歌新聞社 新現代歌人叢書・1

②歌集・日本人霊歌 短歌新聞社

③塚本邦雄歌集 短歌研究文庫16

①は、短歌新聞社の新シリーズです。
大辻隆弘さんや奥村晃作さんなどもこれから、です。

水に卵うむ蜉蝣よわれにまだ悪なさむための半生がある

などなど、珠玉の自選500首です。
東京堂書店には逝去を受けてたくさん平積みされてましたが、
他の書店では見かけませんね。

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2005/06/20

どくだみ茶作り

土曜日(6/18)は、自宅の裏に生い茂っているどくだみを刈り取って、
物干し竿に干してみました。
どくだみ茶を作ってみようと気まぐれで思い立ったのですが、
果たしてどんな味なんだか、期待と不安相半ば、というところ。
しかし、今朝になっても一向に乾燥してくれなかったな。

うまくいったら、まだ一杯自生しているので、商品化を・・・?

星野富弘さんの詩画集にこんな詩が、

   「どくだみ」

  おまえを大切に
  摘んでいくひとがいた
  臭いといわれ
  きらわれ者のおまえだったけれど
  道の隅で
  歩く人の足許を見上げ
  ひっそりと生きていた
  いつかおまえを必要とする人が
  現れるのを待っていたかのように

  おまえの花
  白い十字架に似ていた

いつもは生えるに任せ、枯れるに任せていた
どくだみと、今年は少しだけ言葉を交しながら過ごしています。

六月も残り十日。
やがて夏が、やって来ます。
dokudami

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2005/06/17

ウィーン少年合唱団

昨日(6/16)、妻と二人でウィーン少年合唱団のコンサートに行ってきました。

何故か公式HPでは出てこない武蔵野市民文化会館での公演。
高齢のご近所の方々が多かったですね。

たった24人の10歳から14歳の少年たちと
ピアニスト兼指揮者の怖そうなおじちゃんだけの舞台。

少年たちはいかにもやんちゃそう。
それが歌い出した途端に、ボーイソプラノの妙なる調べが
大ホール中に鳴り響きました。

・ベートーヴェン 『歓喜に寄す』
・J.シュトラウスⅠ世 『ラデツキー行進曲』

など圧巻でした。

指揮者の一番近くにいた少し恰幅のよろしい少年がエース格。
全員で歌っていても一際高く響く美しい声で、
その少年のソロ 『アヴェ・マリア』はプロの女声ソプラノよりも
美しく、鳥肌が立つくらいでした。

声変わりしたら消えていってしまうという、
永遠ではないものの美しさ、なのかもしれません。

もうひとり目立っていた少年がいて、
歌は上手いし、踊りもばっちり、おまけに
アコーディオンを弾くは、ドラムを叩くはで大活躍。

顔はテニス界の暴れん坊マッケンローそっくり、
と言えばいかにやんちゃに見えるか想像つくでしょう。

雨の中でしたが、とても心地よいそよ風が吹いたような、
愉しく心洗われるひとときでした。

短歌はパス、お待ちください(できないかも・・・)。

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2005/06/16

ゆうすげの会/歌稿

2005年6月26日(日)のゆうすげの会のための歌稿を本日作り、
発送致しました。六月の花の題詠の試み。失敗かな~。


  六月の花々

夜の雨に紫陽淡く発光し美空ひばりの逝ける六月

青年は惑いの夏に佇ち尽くす栗の花房重くそよがせ

群れるのは嫌いと傘を差し出してクチナシの香と我を抱くひと

広がりてたちまち消える水の輪をヤマボウシ咲く下に見ており

結ばれし露は光を反射させあやめ科の鬱を開く花菖蒲

ajisai

kuri

kuchin

yamaboushi

hanashoubu

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題詠マラソン2005 /006~010

006:時  間違って生まれてきたんだ少しだけ五十年だけ時を違えて
007:発見  ピラミッドで発見された石棺には人間嫌いの王ならいません
008:鞄  一昨日の気まずい空気はくしゃくしゃに鞄のなかに仕舞ったままで
009:眠  ぬばたまの闇に描ける夢の絵は安眠まくらを裏返して見よ
010:線路  線路なき雄武から北見枝幸へと徒歩で歩くは廃線前なり

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2005/06/14

題詠マラソン2005、出走!001~005

よ~やくの出走です。
たぶん休み休みなりますが…。

本日の投稿分をこちらに。
ちょっと気分を変えて歌ってみました。

あ、でも、実は本名でエントリーなんです。
あの頃は、立原ではなかったのです。

001:声  西風が鈴懸の実を吹き抜けるそんな声だった もう忘れたけど

002:色  海に沈む夕陽金色撒き散らし何故だか君は蒼く透けてて

003:つぼみ  私の内なるつぼみは硬いまま夢で叫んだら落ちてしまった

004:淡  海に棲む青き魚を淡水に住まわせたような居心地わるさだ

005:サラダ  あかねさすまばゆき皿に取り分けしサラダ菜の上ゆかし幼虫

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未来・歌稿を送る

6月15日締切の未来への歌稿、
今日の昼休みに郵便局にて、「速達」で出しました。
今までは9首採られていたけど、今度は駄目かも…。

他にも15日締切の課題があるのだが、どうしよう。
ゆうすげの会の5首も手付かず、もひとつどうしよう。

yamabousi
職場の近くの公園でヤマボウシが咲いていました。
実は食べられるそうです。
花を見ての所感を述べる前に、
食べることに執着する自分が情けない。
「秋に球状の 集合果になり、紅熟して食べられる」
ですって! ああ、やっぱり駄目だ。
情けない、情けない、ああ~…。

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2005/06/13

私のなかの原・物語

記憶とは、曖昧なものだ。
一週間前の昼食に何を食べたかを言い当てられる人間は、恐らくは
ほとんどいないであろう。
今朝方に見た夢でさえおぼろげであり、日々のどうでもいいのだが
やらなければいけない些事に忙殺されているうちに、一切は忘却の
彼方に押し流されてしまうのである。だがしかし、それらの忘却の
断片は、私の内部に降り積もり、やがて思わぬ逆襲を企てているの
かもしれない。

死の刹那にみるという走馬灯のような人生の断片、
私はそのときに何をみるのであろうか?

子供の頃に読んで、その内容だけが何故か記憶に刻まれ、
その原典がわからなくなった物語の話をしようか。
道浦母都子さんにも、ゆうすげの会の際に渡したエッセイもどき。
読み返すと恥ずかしい限りの稚拙さだけど、そのままここに公開。

誰か~、知りませんか~。
    
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    『天使と悪魔』

〈欠落〉は時に記憶をより強固なものにする。〈モノ〉にせよ、
〈コト〉や〈ヒト〉にせよ、手にし得たものよりも捉え損ねたもの
の方が、滓のように傷のように、記憶に沈潜し或いは刻み込まれ、
より深く強く〈私〉を構成する見えざる要素となっていくことが
多いのではなかろうか。

少年の頃であろうか。私は、以下に紹介する物語を確かに読んだの
だが、それが一体誰の作品なのか、タイトルさえも思い出すことが
できないのである。ただ、物語の記憶ばかりが鮮やかに残されてい
るのであるが、それも歳月により変質・風化し、脚色が加わってい
るのは否めないこと。あたかも私の血肉を分けた兄弟であるかのよ
うに、不即不離の物語が私の中で呼吸し、成長を続けているのであ
る。大学生の私は、その原典を捜すためにグリム童話集を、アンデ
ルセン童話集、O・ヘンリー短編集などをひもといてみたのだが遂
には見つけ出せなかった。その後も所属していた現代詩の同人誌に
エッセイを書いて、そこに「捜索願」めいた一文を載せたり、これ
はと思う博識の徒に尋ねたりしたが、答えを得ることが叶わないま
ま齢を重ねるに至っている。
脆弱な記憶能力のせいか、多くの読書経験は記憶として蓄積されて
いないのに、この物語だけはいつまでも心に引っかかり、私を捉え
て離さないのである。あたかも全ての書籍が背表紙ばかりを見せて
いる図書館の中、この物語だけが読みさしのままに記憶のテーブル
にそっと置かれてあるかのように・・・。

こんな話である。
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一人の貧しい絵描きの青年がいた。ある時、教会を飾る壁画を描く
画家を探すために公募コンクールがあり、青年も一枚の絵を出品す
ることにした。彼は天使の絵を描くために、それに相応しいモデル
を探し歩いた。とある貧民街を歩いていて、それはそれは愛くるし
く天真爛漫そのものの幼子を見出し、その親にお願いしてその子を
モデルに天使の絵を完成させ出品した。その絵は堂々一等となり、
その後は画家として輝かしい人生を歩むこととなった。
幾歳月が流れ、大画家となった彼のもとに教会から大作を描く依頼
があった。彼の構想の中で、悪魔が重要な鍵を握っていた。悪魔を
完全なものとして描くために、この世のものとは思えない極悪非道
の相を持つモデルが必要になった。彼は街外れにある監獄を訪ねて
みた。そこで身の毛のよだつような人相の悪い、モデルに打ってつ
けの囚人を見出した。何人もの罪もない人間を殺めたというその男
は死刑執行を待つばかり、荒んだ濁った眼で画家を睨みつけていた。
やがて彼をモデルに悪魔はその姿を完璧に画布に定着することがで
き、大作は完成し、その絵は市民の賞賛を浴び、国の隅々からもそ
の絵を観るために多くの人々が訪れるようになり、ついに国王から
は勲章を戴くこととなった。
彼は、その絵を描かせてくれた囚人に御礼を言いたくて、監獄を訪
ねた。彼は、ぼろぼろになった一冊のデッサン帖を携えていた。そ
こには彼の画家としての出発点であった天使のデッサンが一葉、含
まれていた。囚人は面倒くさそうにデッサン帖を手に取った。それ
でも花や動物のデッサンを囚人は熱心に眺めていた。しばらく無言
で、濁った眼でデッサン帖をめくっていた囚人の同じ眼から突然、
大粒の涙がこぼれ落ちた。画家は、ただただ驚いて囚人を見つめた
るばかりであった。嗚咽がいつまでも続くなか、切れ切れに囚人が
口を開いた。 
「これは俺です。今でも憶えています。御礼にとあなたは飴玉を三
つくれたことも憶えています。忘れもしません。その晩です。盗賊
がやって来て親父とお袋が殺されたのは。悲しみよりも憎しみが勝
っていたんでさ。いつか復讐を、と念じながら俺自身が盗賊と同じ
ような悪さをはたらくようになり今はこうして死を待つ身です。」
囚人は、天使のデッサンを見つめながら涙を落としていた。その瞳
には最早悪魔は消え失せ、壮年ながらまるで老人のように小さな存
在としか見えなかった。画家は大いに驚き、天使と悪魔を交互に見
比べるほかなかった。
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一人の人間に内在する天使と悪魔の物語、という部分はこの梗概で
伝わっているものと思う。
私はいつの日にか、この物語の原典に出会えるのだろうか。答えは
思いのほか近くに、〈青い鳥〉のようにすぐそばで見出される瞬間
を待っているのかもしれない。

寂しさはたとえばピアスなき耳の穿たれしその欠落に似て

これは、欠落感を詠った私の拙い歌である。欠落感や喪失感は、可
能であるならそれを埋めたいと願ってやまない主観的な傷なのであ
るが、あたかもジグソーパズルのピースを当てはめていくように、
完成させることが必ずしも幸福であるとは限らないだろう。何故な
ら、ピースをはめていく行為あるいは状態こそが幸福の姿であり、
生きて在るということであり、完成はすなわち忘却そのものかもし
れないのであるから。

多くの欠落によって成り立っている〈私〉を眼に見える形にする手
段として、私は短歌という定型詩をいつしか選んでいた。それはあ
るいは詩であっても、小説やエッセイであってもよかったのかもし
れない。しかし、あの頃、壊れかけていた私にはあまり時間がなか
ったのである。あの頃がいつの頃であったのか、その特定はここで
はしない。
とても稚拙な比喩で表現するならば、私が手にしていたのは金魚す
くいの網なのであった。上手にすくわなければすぐに破れてしまう
和紙の張られた網である。私のなかの、他者からは見えないところ
にある悲しみとか憤りという感情や想いは、短歌という表現形式に
おいても、すくい取ろうとすると網は忽ち破れてしまった。まして
や詩や小説は金魚ではなく錦鯉であったから、唯一手にし得たすく
い網ではどうにもならなかったのである。

いつの日にか、私の原風景とも言うべき「天使と悪魔」の物語の典
拠へと辿り着き、そうして短歌という定型詩で私という一回性の実
在を捉え得る瞬間が訪れることを夢に見つつ、今日もまたこの欠落
を抱いた〈私〉と不器用に向き合い、生きにくい〈世界〉のただな
かで戸惑いつつ生きている。手には破れた金魚すくいの網を持って
―――。

座るべきベンチは雨に濡れて光り傘の陰にて花散らすわれ

                                    (了)

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2005/06/10

3年前の6月のこと

5月も憂鬱だけど、6月はもっと憂鬱。
梅雨時には心の中まで雨水が染み込んでくるような、そんな気分。
靴の中がぐじゅぐじゅなるあの居心地の悪さにも似た気分。

亀井戸の藤も終りと雨の日をからかささしてひとり見に来(こ)し
                               伊藤左千夫
池水は濁りににごり藤なみの影もうつらず雨ふりしきる
                                 〃                                
>

こんな伊藤左千夫の歌を口ずさむと、少しは気持ちが晴れるのかな?

昭和23年6月19日、13日に玉川上水に入水自殺した太宰治の遺体が見つかったこの日が桜桃忌。私の自宅から自転車で15分ばかりのところに太宰治の眠る禅林寺があります。太宰ファンが押しかけるというこの日に出かけたことはありません。「池水は…」の歌は、太宰が好きで色紙に書いた墨蹟が今も残されています。

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それは2002年6月28日金曜日のことであった。今から3年前のことである。
私は、まだ若かりし頃の思い出の品々を片づけるために、実家のある東京下町の家を訪れた。
十代後半から二十代後半にかけて十年あまりの歳月の、私の生きた証しの断片たちが整理され、それなりの量になったので、宅急便で送ることにしたのである。
翌日、荷物は届かなかった。翌々日、やはり届かない。
さすがに週が変わり、私は焦り業者に問い合わせた。追跡すると自宅最寄の拠点までは確かに届いており、自宅への積荷としてトラックに積まれたことがわかった。
平行宇宙(パラレルワールド)の私が受け取ったのだろうか。現実世界(リアル)の私は、私の過去を詰めたタイムカプセルを受け取ることが出来なかった。
この宅急便滅失事故により、私は30万円という損害賠償金を受け取った。しかし、お金では買えない私の過去は、もう戻ることはないのである。そんな大切なものを何故、宅急便に委ねてしまったのか。過失は半分、私の方にある。

「4月は残酷な月」と詩に書いたのはT.S.エリオット。
3年前から、私にとっての残酷な月は6月になってしまったのである。

◎この時に喪くしてしまった私の過去は、

・少年時代からの読書記録ノート

  高校や大学の頃に、いつ、何を読んでいたのか、
  振りかえる術は残された日記や手帖しかない。

・出した手紙の控え(恋文、文学仲間と交した書簡、など)
・もらった手紙

  出した手紙の控えはカーボン紙で写したものであった。

  メールも携帯電話もなかったあの頃、手紙が全てであった。
  同じ職場にいても、想いを伝えるのに直筆の手紙を書いた。
  言葉足らずが原因で生じる喧嘩も、手紙のなかで起きた。
  「食べる」という行為の悲しさを書いたら噛み付いてきたっけ。

  高知にいる詩人との往復書簡はB5の原稿用紙。
  癖のある筆跡を秘めた封筒は分厚かった。

・詩、小説、エッセイなどの生原稿

  活字やガリ版にならなかった多くの作品が消失した。
  あるいはそれでよかったのかもしれない。
  
・写真

  あの夏の数かぎりなきそしてまたたつたひとつの表情をせよ
                               小野茂樹

  いくつもの夏が、喪われた。

・映画、演劇、コンサート、美術展覧会などのチラシ、パンフレット
  『廃市』などの映画パンフレットをもとに、映画論、福永武彦論を
  書こうと思っていた。それが第一目的の実家への訪問であった。
  あの頃は今では創造もできないくらい几帳面に、すべてのチラシ
  などをファイリングしていたのである。
  記憶を喚起する媒体たちは何処へ消失してしまったのだらうか。

・旅行の記録
 
  数々の登山記録、イーハトーヴ旅行の記録、古都逍遥の記録…
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そうして人は本来、日々何ものかを失いつつ生きているのかもしれない。
眼に見えるか、見えないかそれだけの違い、なのかもしれない。
所有している物も、思い出も、来世に持っていくことはできないのだから。

あ~、なんて厭世的。雨の日はいかん。
  

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藤田湘子、長田弘、吉本隆明

  雨の朝に

羽毛の重さほどの憂鬱でも
雨の降る朝には傘を差していても
少しずつ湿気を吸い込んでその重さを増すような気がする

上着を脱ぐようなわけにはいかないんだ

素肌の奥のほう
僕のなかの一番柔らかいところに
それは突き刺さっていて
ハンカチで拭こうとするとよけいに黒くなるし
ラフマニノフのピアノ協奏曲を流しこんだって
喜んでその陰影を濃くするばかりなんだ

黒い鳥が
僕のなかの西空を目指して飛んでゆく

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昨日(6/9)、仕事帰りに立ち寄った自宅最寄駅の書店で、絶版のはずの書籍を見かけました。なんという幸運!
求めよ、さらば与えられん、です。もちろん買って帰りました。

● 『藤田湘子~花神コレクション[俳句]』花神社 1,575円
未来の春の批評会で、岡井隆さんが紹介していた書籍です。俳人・藤田湘子の句集一冊が完本として収められ、その他平成二年までの自選集になっています。解説文は岡井隆さんで、あの会の講話で話していた言葉が書かれていて感激。
私が俳句を少しかじっていたのは二十代後半の頃だろうか。波郷、蛇笏、山頭火、放哉などに親しんだのだが、俳句の世界に物足りなさを感じてすぐに遠ざかってしまいました。その後短歌の世界へ。中城ふみ子、そうして道浦母都子さんなどを知るのですが実作には至らず。

(でもでも、先日、二十年来の友人と神保町で会ったら、古い手帖を取り出してきて、一緒に京都や奈良、鎌倉を逍遥していた若い頃に私が作ったという短歌を3首、書きとめていてびっくり。これはなかなかよく出来ている、と書きとめたらしいが、人間の記憶なんて曖昧なもの。とても自作とは思えなんだ)

拾い読みできたら、いづれ少し紹介してみます。それにしても大型書店でもない啓文堂書店よ!詩や短歌・俳句、それに社会科学関連により多くのコーナーを割くその姿勢、脱帽です。神保町を彷徨っても見つけられなかったというのに、幸福の青い鳥はやはりすぐ近くにいるのかも。

他には詩集、詩をめぐるエッセイを何冊か。
長田弘の詩は、生きていくことがとても苦しくて、何もかも投げ出したいような気分のときに心の栄養剤になります。思潮社現代詩文庫の正・続二冊の詩集、晶文社『記憶のつくり方』、みすず書房『本についての詩集』などもお薦めです。

jinnseinotokubetunaisshun
●『人生の特別な一瞬』長田弘 晶文社 2005年3月 1,680円

osada
● 『死者の贈り物 詩集』長田弘 みすず書房 2003年10月 1,890円

kimitegami
● 『すべてきみに宛てた手紙』長田弘 晶文社 2001年4月 1,890円

  ~39篇の手紙エッセー。手紙という形式であるが間違いなくこれは言葉の贈り物=詩である。

yosimotosinodeai
● 『際限のない詩魂 わが出会いの詩人たち』 吉本隆明
思潮社 詩の森文庫 001 2005年1月 1,029円 (税込)

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さて読もう、と思ったのですが、途轍もなく眠たくなってしまい、ダウン。残念。

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2005/06/07

神田神保町で購ったものは…

午後、徒然なるままに神田神保町へ。
かれこれ二十数年いつもお世話になっている東京堂書店神田本店の二階、
ここには現代詩や短歌、俳句の書籍がたくさんあるので、
買えないまでも眺めていると心が平穏になります。

道浦母都子さんの全歌集はニ冊、岡井隆さんの『「赤光」の誕生」は三冊、
平積みされていました。谷川俊太郎の詩集も気になりつつ、
詩集も歌集もとにかく高嶺の花!
手を出すにも命がけとはちとオーバーか…。

本日は、近藤かすみさんのページで紹介されていた与謝野晶子のうた、

 鶏頭は憤怒の王に似たれども水にうつしてみづからを愛づ
                           (太陽と薔薇)

が風狂の心をくすぐり、以前から気にかけていた本を購入。

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yosanokeyword
『24のキーワードで読む与謝野晶子』 今野寿美/著 本阿弥書店 2005年4月刊 2,730円 (税込)

以下はyahoo!の内容紹介から引用です⇒

内容
春・われ・恋・髪・罪・星・母・国…ひとりの女性が、近代短歌に革命をもたらした。1901年、まさしく新世紀を拓いた歌集『みだれ髪』399首の誕生である。情熱の歌人与謝野晶子は、それまでの旧派和歌とまるで異なる言葉を使って歌にメッセージを込めた。晶子が多用した言葉を手がかりに歌を読み解き、その全貌に迫る。

目次
春―『みだれ髪』の主調音としての春のめざめ
われ―『みだれ髪』に読む「われ」の造形
はつなつ―短歌に初めて「はつなつ」を詠み入れた歌人は晶子
子―新しい恋歌のスタイルに恰好の言葉となった「子」
君―晶子にとって、終生「君」だった人
百二十里―数詞の詩的なひびきを心得た自在さ
たまへ―女歌の基本情調を支えた敬語表現
の―独特の用法が繰り返された結果としての説得力
百合―心理的な陰翳と切り離せなかった白百合
やうに―晶子が直喩表現に積極的になったのはいつからか[ほか]

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若山牧水や石川啄木には少年の頃から親しんできたのですが、
何故か与謝野晶子と齋藤茂吉にはきちんと向き合ったことがないんです。

この機会に書庫に背表紙を見せていただけの岩波文庫版の『与謝野晶子歌集』(随分前に購って仕舞い込んでいてパラフィン紙?は黄色く変色しています)や中公文庫版の『日本の詩歌4』(このシリーズで多くの詩人や歌人、俳人と出会いました)を座右に置いて読み進めようかな、と決意だけはいつも立派だ!

早く帰りたい!
しかし帰ると眠くなる…。

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2005/06/06

枯れ木に花を

中途半端に残っていたわさび海苔が、冷蔵庫の中で硬く乾涸びていた。
お湯でふやかしながらふと、水中花を、想った。
なんて脈絡のない、想念。。。
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「未来」の歌稿締切は毎月15日。
5月締切分なら3ヵ月後の8月号に選を経て歌稿が掲載されます。

いまだ短歌におけるアイデンティティが確立さえていない私の詠草は、
時に言葉貧しく、また時に言葉が過剰になり、しばしば意味不明。
抒情には程遠いように思われてなりません。

ところでこの5月末日には、とある締切がございまして、
七転八倒、からっぽの頭を振り絞るように、
苦し紛れに30首絞り出しましたのですっからかん。
「短歌研究」詠草5首も月末締切なのですが、
こちらはゆうすげの会の5首を添削して出しました。
反則かな~。

で、6月15日締切の詠草はつまりはですね、
まだ頭の中で形をなしてはいないのです。(どうしよう)

・日々の感動、想いが定型を得て歌になる。
・どうしても苦しい時、題詠を試みて歌を作る。
・言葉に頼ると、あるいは言葉が過剰になると、抒情は痩せる。

日々、肝に銘じているのですが、内なる泉は涸れたまま。
意を決して陸にあがった河童は、言葉の森をさまよいながら、
自分に向けられたメッセージを探しているところなのです。

ところで最近、歌会や批評会に参加して驚いたこと---
随分たくさんの方が電子辞書を持っているのですねぇぇぇ。
わからない言葉に出会ったときにすぐに知ろうとする、
言葉への飽くなき貪欲さは歌人の必須条件かもしれません。

でも公の場で、キー操作の電子音を消すエチケットは守って
欲しいな~とは、持たざるものの僻みでござる。

欲しいな~電子辞書、でもでも懐具合を確かめて、
深い深いため息をつく他ない立原であった。

贅沢は言わないから
翼なんか求めやしないから

自分のために好きに使える閑暇と(私の中の時間泥棒…)
欲しい本が自由に、衝動的に買える財布と(買ってしまうけど…)
蔵書をジャンル別に配列し一望できる書庫と
(必要な本を取り出すためには多くの障壁が…)
なまいきな一匹の猫と(昨日今年初めてゴキブリが出た…)

それだけ、我に与えたまえ!(もっと他にもあるけど…)
そうしたらよいものを書きます!(書けやしないだろっ)
(まるで芥川賞をちょうだい!とねだった太宰みたいだな)

長々と書けない言い訳をしてしまった…仕事中なのに…。

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2005/06/03

中城ふみ子~わがこころの歌人

石川啄木、若山牧水、道浦母都子、と私を短歌へと導いた歌人は何 
人かいますが、中城ふみ子もその一人として忘れてはならない歌人
です。共感できるところもありますが、実際に身近にいたらちょっと
困るかもしれません。

没後50年、ということで2004年は各短歌誌で特集を組んでいました
し、新たな出版も何点かありました。

そもそも彼女との出会いは、愛読していた渡辺淳一の『冬の花火』
を読んだことから始まります。戦後の歌壇に突如彗星のごとく登場
し、一瞬の鮮烈な光芒を曳いて消えた夭折の歌人。『乳房喪失』と
『花の原型』の中でひたすら死と性を詠った歌は、賛否両論渦巻く
中この50年の間、色褪せることなく多くの読者を得てきました。
『阿寒に果つ』の主人公である、雪の阿寒で自殺を遂げた天才少女
画家・時任純子を典型とするような強烈な個性と純一なる魂の悲劇
--青春期に出会ったそんな女性にも匹敵するような存在として、
中城ふみ子はいつしか若き渡辺淳一の心を捉え、いつか書かれなけ
ればならない対象として彼の中に巣食い、育まれていったのかもし
れません。

北海道帯広の富裕な呉服店の長女として生まれ、戦中である昭和十
七年の結婚。三人の子供に恵まれた幸せな日々。しかしそんな幸福
が崩れ始め、そんな日々の中、歌をつむぎ始める。
離婚、幾つかの恋愛、別れ、そうして二度にわたる乳癌摘出手術。
それでも激しく恋の炎を燃え立たせる生き様は驚嘆に値する。

再手術のため札幌医大病院に入院。病状の進行につれ痰や血痰が出
る中、ふみ子は死を意識し、おもいたって歌に打ち込むことになる。
折しも目にした雑誌「短歌研究」が第一回新人五十首募集に応募。
特選一席に「乳房喪失」と題され編集長中井英夫が強く推して入選。

昭和二十九年八月三日、死去。「死にたくない!」と口にしつつ。
享年三十一。

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fuyunohanabi
●『冬の花火』渡辺淳一/[著]
角川文庫 504円 (税込)1988年

読了後の興奮冷め遣らぬままに、
書店に駆け込み購ったのが、↓

nakajoukokubun
●『中城ふみ子歌集(現代歌人文庫4)』
国文社 1,260円 1981.3.30刊

『乳房喪失』(完本)、『花の原型』(完本)
◆歌人論:中井英夫、菱川善夫、清水昶

20代の私には、短歌はまだ理解しがたい世界。
本当にその作品の世界と出会うのは後年のこと。

●『定本黒衣の短歌史』中井英夫/著
ワイズ出版 3,975円 (税込) 1993年1月

中城ふみ子の写真がグラビアとしてふんだんに盛り込まれています。
この本によって齋藤史、葛原妙子、前川佐美雄、塚本邦雄、岡井隆
らの名が歌壇外にも知られるようになったようです。戦後の現代短
歌の<読者>は、この本のおかげで誕生したと言えるらしい。

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●『中井英夫全集10~黒衣の短歌史』中井英夫/著 創元ライブラリ
  東京創元社 1,995円 (税込) 2002年2月

葛原妙子、塚本邦雄、中城ふみ子、寺山修司、春日井建、浜田到…
戦後短歌のきらめく星座は『眠るひとへの哀歌』の詩人・中井英夫
によって不滅の輝きを放つことになった。
『水星の騎士』ほかの全詩篇、短歌論集『黒衣の短歌史』『暗い海
辺のイカルスたち』、新資料「中井英夫・中城ふみ子往復書簡」を
完全集録。

新資料「中井英夫・中城ふみ子往復書簡」に惹かれて2004年に購入。

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●『美しき独断 中城ふみ子全歌集』
  北海道新聞社 3,000円 (税込) 2004年8月

『乳房喪失』で戦後歌壇を駆け抜けた中城ふみ子。没後50年、甦る
珠玉の歌。未発表の180首を含む354首を新たに収録。

装丁の美しさに惹かれて2004年に購入。

onnauta
●『女歌の百年』道浦母都子/著 岩波新書 777円 (税込) 2002年11月

やは肌のあつき血汐にふれも見でさびしからずや道を説く君―与謝
野晶子の『みだれ髪』刊行は一九〇一年、二十世紀幕開けの年であ
った。それから今日まで、愛を歌い、時代を歌い、母として歌い、
女として歌ってきた女性歌人たちのさまざまな作品と生涯を辿り、
女性のこころに勇気を与えてきた短歌の魅力を伝える。

俵万智 『サラダ記念日』の登場―女歌の現在、から書き起こし、
与謝野晶子、山川登美子、茅野雅子、原阿佐緒、岡本かの子、
そうして中城ふみ子についても言及。
戦後の歌人では松平盟子、永井陽子阿木津英などに触れ、道浦さん
本人には控えめに書き流しています。

nakaitakaron
●『中井英夫短歌論集(現代歌人文庫40)』
 中井英夫/著 福島泰樹/企画・編集
国文社
 1,575円 (税込) 2001年11月

『虚無への供物』の作家・中井英夫は現代短歌の名伯楽でもあった。
中城ふみ子、寺山修司ほか代表的短歌論を網羅。その短歌への愛僧
を遺言として福島泰樹に語った「黒鳥の歌」を収録。

heibonnakajou
●『新編中城ふみ子歌集』中城ふみ子/著 菱川善夫/編
 
平凡社 平凡社ライブラリー 515 1,260円 (税込)
  2004年10月

戦後歌壇に彗星のごとく現れて消えた中城ふみ子。「短歌研究」編
集長時代の中井英夫が一等先に見初めたこの伝説的女流歌人の出現
は、現代短歌史上の一大事件として語り継がれている。本書は、
中城の苛烈な愛と生が詠いこまれた『乳房喪失』と『花の原型』の
二歌集を、その精神の発展史が辿れるよう編み直した新編歌集。
中井との濃密な往復書簡も併せて収める。

こちらは購入していないのですが、入門としては手ごろな価格で、
比較的手に入りやすいので紹介しました。

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●中城ふみ子 短歌10首

灼きつくす口づけさへも目をあけてうけたる我をかなしみ給へ

冬の皺よせゐる海よ今少し生きて己れの無惨を見むか

背かれてなほ夜はさびし夫を隔つ二つの海が交々に鳴る

熱き掌のとりことなりし日も杳く二人の距離に雪が降りゐる

いくたりの胸に顕ちゐし大森卓息ひきてたれの所有にもあらず

陽にすきて流らふ雲は春近し噂の我は「やすやすと堕つ」

音たかく夜空に花火うち開きわれは隈なく襲はれてゐる

失ひしわれの乳房に似し丘あり冬は枯れたる花が飾らむ

灯を消してしのびやかに隣に来るものを快楽の如くに今は狎らしつ

冷えしきる骸の唇にはさまれしガーゼの白き死を記憶する

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短歌研究2005/5月号

馬場あき子選 準特選
(何故か旧仮名になっていましたが、こちらでは新仮名で)

海までの距離を測りに行くという尺取虫の背を押してみる

空色のそらとはきっと在りし日の智恵子のなかにしかないのだろう

水色の絵の具は水の色であり空の色ではないのだろうか

午前一時の洗面台を紅く染め切り離されし髪がうごめく

為すべきはあれども私語を交わしつついちご大福なぞ食みており

選後感想~第一首が面白い。「海までの距離」を測る尺取虫という
発想が独特である。木の枝に住む虫の不可能を思い立った背中を
押して励ます。それはおそらく自らへのエールでもあろう。
第四・第五首など、どういう場面での行為なのかがわかるとよい。

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2005/06/02

昨日こんな人が…

昨日は会社で送別会があったのですが、
宴もたけなわの頃、表を行過ぎる人が立ち止まり、
笑いさざめく姿が…。

そういえば隣りで飲んでいた同僚がふらっと外に行ったきり
戻ってこないので偵察に行くと…

Jun01_2038

お店の前でごろりと寝っころがっているではないか!
一緒に見に行った同僚の女の子と二人、
ためらいなく次の瞬間、携帯のシャッターを押していた…。
ごめんね、ぷっ!

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2005/06/01

シリーズ牧水賞の歌人たちvol.1 高野公彦

伊藤一彦監修/津金規雄編集 青磁社 1,890円 176頁
2005/05/31刊

新刊書籍です。奥村晃作さんの日記で紹介されているのを見て、
ためらいなく青磁社に注文メールを送信しました。

歌壇に類を見ないムック形式!
アルバムあり、インタビュー、対談、代表歌300首、エッセイ、
論文、寄稿、高野公彦論、などなど、
生い立ちから経歴、嗜好、作歌信条など多くの切り口で
高野公彦に迫る豊饒で愉しい宇宙〈コスモス〉です!

気になる方はこちらへ↓
青磁社 ホームページ
http://www3.osk.3web.ne.jp/~seijisya/

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