3年前の6月のこと
5月も憂鬱だけど、6月はもっと憂鬱。
梅雨時には心の中まで雨水が染み込んでくるような、そんな気分。
靴の中がぐじゅぐじゅなるあの居心地の悪さにも似た気分。
亀井戸の藤も終りと雨の日をからかささしてひとり見に来(こ)し
伊藤左千夫
池水は濁りににごり藤なみの影もうつらず雨ふりしきる
〃 >
こんな伊藤左千夫の歌を口ずさむと、少しは気持ちが晴れるのかな?
昭和23年6月19日、13日に玉川上水に入水自殺した太宰治の遺体が見つかったこの日が桜桃忌。私の自宅から自転車で15分ばかりのところに太宰治の眠る禅林寺があります。太宰ファンが押しかけるというこの日に出かけたことはありません。「池水は…」の歌は、太宰が好きで色紙に書いた墨蹟が今も残されています。
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それは2002年6月28日金曜日のことであった。今から3年前のことである。
私は、まだ若かりし頃の思い出の品々を片づけるために、実家のある東京下町の家を訪れた。
十代後半から二十代後半にかけて十年あまりの歳月の、私の生きた証しの断片たちが整理され、それなりの量になったので、宅急便で送ることにしたのである。
翌日、荷物は届かなかった。翌々日、やはり届かない。
さすがに週が変わり、私は焦り業者に問い合わせた。追跡すると自宅最寄の拠点までは確かに届いており、自宅への積荷としてトラックに積まれたことがわかった。
平行宇宙(パラレルワールド)の私が受け取ったのだろうか。現実世界(リアル)の私は、私の過去を詰めたタイムカプセルを受け取ることが出来なかった。
この宅急便滅失事故により、私は30万円という損害賠償金を受け取った。しかし、お金では買えない私の過去は、もう戻ることはないのである。そんな大切なものを何故、宅急便に委ねてしまったのか。過失は半分、私の方にある。
「4月は残酷な月」と詩に書いたのはT.S.エリオット。
3年前から、私にとっての残酷な月は6月になってしまったのである。
◎この時に喪くしてしまった私の過去は、
・少年時代からの読書記録ノート
高校や大学の頃に、いつ、何を読んでいたのか、
振りかえる術は残された日記や手帖しかない。
・出した手紙の控え(恋文、文学仲間と交した書簡、など)
・もらった手紙
出した手紙の控えはカーボン紙で写したものであった。
メールも携帯電話もなかったあの頃、手紙が全てであった。
同じ職場にいても、想いを伝えるのに直筆の手紙を書いた。
言葉足らずが原因で生じる喧嘩も、手紙のなかで起きた。
「食べる」という行為の悲しさを書いたら噛み付いてきたっけ。
高知にいる詩人との往復書簡はB5の原稿用紙。
癖のある筆跡を秘めた封筒は分厚かった。
・詩、小説、エッセイなどの生原稿
活字やガリ版にならなかった多くの作品が消失した。
あるいはそれでよかったのかもしれない。
・写真
あの夏の数かぎりなきそしてまたたつたひとつの表情をせよ
小野茂樹
いくつもの夏が、喪われた。
・映画、演劇、コンサート、美術展覧会などのチラシ、パンフレット
『廃市』などの映画パンフレットをもとに、映画論、福永武彦論を
書こうと思っていた。それが第一目的の実家への訪問であった。
あの頃は今では創造もできないくらい几帳面に、すべてのチラシ
などをファイリングしていたのである。
記憶を喚起する媒体たちは何処へ消失してしまったのだらうか。
・旅行の記録
数々の登山記録、イーハトーヴ旅行の記録、古都逍遥の記録…
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そうして人は本来、日々何ものかを失いつつ生きているのかもしれない。
眼に見えるか、見えないかそれだけの違い、なのかもしれない。
所有している物も、思い出も、来世に持っていくことはできないのだから。
あ~、なんて厭世的。雨の日はいかん。
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コメント
>それは2002年6月28日金曜日のことであった。今から3年前のことである。
この出来事についての記事を胸が熱くなりながら読ませていただきました。
今日は入梅です。塚本邦雄も逝ってしまわれました・・・
ああ、何と切ない雨なのでしょう。。。
投稿: 風花 | 2005/06/10 21:52
コメントのお礼、風花さんのページに書きました。
入梅はゆううつ、
あ、でも隣りの植え込みにクチナシの花が
芳香を放っていました。
じきにスズメ蛾の一種、オオスカシバの幼虫が
葉を食む姿が見られるでしょう。
紫陽花もきれい。
カタツムリは、ひとそれぞれ・・・。
雨もまた愉し、と無理やり思おう(と強がり)。
(書き忘れた一言、でした)
投稿: 立原まこと | 2005/06/13 02:56