2005/11/09

いつのまに秋…

冷たい乾いた風が木々の葉を散らしていく。
この時空間に「夏」は訪れることなく、
限りなく冬に近い秋へと私は舞い降りてきた。

本田美奈子の死。

あたかも一人の死により触発されたかのように、
私の内部でいまだ小さいながらもひとつの光が
点ぜられたような気がする。

同世代、もしくは少し若い世代の死は悲しいものだ。
今の私は仕事をしていない、学ぶことからも遠い、
いわゆるニートである。 たぶん・・・。
でも、少なくとも健康であり、飢えてもいない。

本田美奈子のように生きたい、とも思うのだけど、
誰恨むことなく、笑顔で、自分の夢を追い求めるには、
大分ひねくれねじくれてしまっている。

夏の暑さは苦手と遊び暮らし、
冬の寒さは苦手と冬ごもりを夢想する、
私はおろかなきりぎりすである。

私ができること、したいこと、それはこの世の外にあること。
できないこと、したくないこと、
快不快と感情が価値観の前提なのである。

久しぶりの復活なのに愚痴っぽい。
短歌も不振、題詠マラソンはウイルス君のせいでリタイヤ。
困ったものだ。

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2005/06/20

どくだみ茶作り

土曜日(6/18)は、自宅の裏に生い茂っているどくだみを刈り取って、
物干し竿に干してみました。
どくだみ茶を作ってみようと気まぐれで思い立ったのですが、
果たしてどんな味なんだか、期待と不安相半ば、というところ。
しかし、今朝になっても一向に乾燥してくれなかったな。

うまくいったら、まだ一杯自生しているので、商品化を・・・?

星野富弘さんの詩画集にこんな詩が、

   「どくだみ」

  おまえを大切に
  摘んでいくひとがいた
  臭いといわれ
  きらわれ者のおまえだったけれど
  道の隅で
  歩く人の足許を見上げ
  ひっそりと生きていた
  いつかおまえを必要とする人が
  現れるのを待っていたかのように

  おまえの花
  白い十字架に似ていた

いつもは生えるに任せ、枯れるに任せていた
どくだみと、今年は少しだけ言葉を交しながら過ごしています。

六月も残り十日。
やがて夏が、やって来ます。
dokudami

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2005/06/17

ウィーン少年合唱団

昨日(6/16)、妻と二人でウィーン少年合唱団のコンサートに行ってきました。

何故か公式HPでは出てこない武蔵野市民文化会館での公演。
高齢のご近所の方々が多かったですね。

たった24人の10歳から14歳の少年たちと
ピアニスト兼指揮者の怖そうなおじちゃんだけの舞台。

少年たちはいかにもやんちゃそう。
それが歌い出した途端に、ボーイソプラノの妙なる調べが
大ホール中に鳴り響きました。

・ベートーヴェン 『歓喜に寄す』
・J.シュトラウスⅠ世 『ラデツキー行進曲』

など圧巻でした。

指揮者の一番近くにいた少し恰幅のよろしい少年がエース格。
全員で歌っていても一際高く響く美しい声で、
その少年のソロ 『アヴェ・マリア』はプロの女声ソプラノよりも
美しく、鳥肌が立つくらいでした。

声変わりしたら消えていってしまうという、
永遠ではないものの美しさ、なのかもしれません。

もうひとり目立っていた少年がいて、
歌は上手いし、踊りもばっちり、おまけに
アコーディオンを弾くは、ドラムを叩くはで大活躍。

顔はテニス界の暴れん坊マッケンローそっくり、
と言えばいかにやんちゃに見えるか想像つくでしょう。

雨の中でしたが、とても心地よいそよ風が吹いたような、
愉しく心洗われるひとときでした。

短歌はパス、お待ちください(できないかも・・・)。

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2005/06/14

未来・歌稿を送る

6月15日締切の未来への歌稿、
今日の昼休みに郵便局にて、「速達」で出しました。
今までは9首採られていたけど、今度は駄目かも…。

他にも15日締切の課題があるのだが、どうしよう。
ゆうすげの会の5首も手付かず、もひとつどうしよう。

yamabousi
職場の近くの公園でヤマボウシが咲いていました。
実は食べられるそうです。
花を見ての所感を述べる前に、
食べることに執着する自分が情けない。
「秋に球状の 集合果になり、紅熟して食べられる」
ですって! ああ、やっぱり駄目だ。
情けない、情けない、ああ~…。

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2005/06/10

3年前の6月のこと

5月も憂鬱だけど、6月はもっと憂鬱。
梅雨時には心の中まで雨水が染み込んでくるような、そんな気分。
靴の中がぐじゅぐじゅなるあの居心地の悪さにも似た気分。

亀井戸の藤も終りと雨の日をからかささしてひとり見に来(こ)し
                               伊藤左千夫
池水は濁りににごり藤なみの影もうつらず雨ふりしきる
                                 〃                                
>

こんな伊藤左千夫の歌を口ずさむと、少しは気持ちが晴れるのかな?

昭和23年6月19日、13日に玉川上水に入水自殺した太宰治の遺体が見つかったこの日が桜桃忌。私の自宅から自転車で15分ばかりのところに太宰治の眠る禅林寺があります。太宰ファンが押しかけるというこの日に出かけたことはありません。「池水は…」の歌は、太宰が好きで色紙に書いた墨蹟が今も残されています。

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それは2002年6月28日金曜日のことであった。今から3年前のことである。
私は、まだ若かりし頃の思い出の品々を片づけるために、実家のある東京下町の家を訪れた。
十代後半から二十代後半にかけて十年あまりの歳月の、私の生きた証しの断片たちが整理され、それなりの量になったので、宅急便で送ることにしたのである。
翌日、荷物は届かなかった。翌々日、やはり届かない。
さすがに週が変わり、私は焦り業者に問い合わせた。追跡すると自宅最寄の拠点までは確かに届いており、自宅への積荷としてトラックに積まれたことがわかった。
平行宇宙(パラレルワールド)の私が受け取ったのだろうか。現実世界(リアル)の私は、私の過去を詰めたタイムカプセルを受け取ることが出来なかった。
この宅急便滅失事故により、私は30万円という損害賠償金を受け取った。しかし、お金では買えない私の過去は、もう戻ることはないのである。そんな大切なものを何故、宅急便に委ねてしまったのか。過失は半分、私の方にある。

「4月は残酷な月」と詩に書いたのはT.S.エリオット。
3年前から、私にとっての残酷な月は6月になってしまったのである。

◎この時に喪くしてしまった私の過去は、

・少年時代からの読書記録ノート

  高校や大学の頃に、いつ、何を読んでいたのか、
  振りかえる術は残された日記や手帖しかない。

・出した手紙の控え(恋文、文学仲間と交した書簡、など)
・もらった手紙

  出した手紙の控えはカーボン紙で写したものであった。

  メールも携帯電話もなかったあの頃、手紙が全てであった。
  同じ職場にいても、想いを伝えるのに直筆の手紙を書いた。
  言葉足らずが原因で生じる喧嘩も、手紙のなかで起きた。
  「食べる」という行為の悲しさを書いたら噛み付いてきたっけ。

  高知にいる詩人との往復書簡はB5の原稿用紙。
  癖のある筆跡を秘めた封筒は分厚かった。

・詩、小説、エッセイなどの生原稿

  活字やガリ版にならなかった多くの作品が消失した。
  あるいはそれでよかったのかもしれない。
  
・写真

  あの夏の数かぎりなきそしてまたたつたひとつの表情をせよ
                               小野茂樹

  いくつもの夏が、喪われた。

・映画、演劇、コンサート、美術展覧会などのチラシ、パンフレット
  『廃市』などの映画パンフレットをもとに、映画論、福永武彦論を
  書こうと思っていた。それが第一目的の実家への訪問であった。
  あの頃は今では創造もできないくらい几帳面に、すべてのチラシ
  などをファイリングしていたのである。
  記憶を喚起する媒体たちは何処へ消失してしまったのだらうか。

・旅行の記録
 
  数々の登山記録、イーハトーヴ旅行の記録、古都逍遥の記録…
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そうして人は本来、日々何ものかを失いつつ生きているのかもしれない。
眼に見えるか、見えないかそれだけの違い、なのかもしれない。
所有している物も、思い出も、来世に持っていくことはできないのだから。

あ~、なんて厭世的。雨の日はいかん。
  

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2005/06/06

枯れ木に花を

中途半端に残っていたわさび海苔が、冷蔵庫の中で硬く乾涸びていた。
お湯でふやかしながらふと、水中花を、想った。
なんて脈絡のない、想念。。。
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「未来」の歌稿締切は毎月15日。
5月締切分なら3ヵ月後の8月号に選を経て歌稿が掲載されます。

いまだ短歌におけるアイデンティティが確立さえていない私の詠草は、
時に言葉貧しく、また時に言葉が過剰になり、しばしば意味不明。
抒情には程遠いように思われてなりません。

ところでこの5月末日には、とある締切がございまして、
七転八倒、からっぽの頭を振り絞るように、
苦し紛れに30首絞り出しましたのですっからかん。
「短歌研究」詠草5首も月末締切なのですが、
こちらはゆうすげの会の5首を添削して出しました。
反則かな~。

で、6月15日締切の詠草はつまりはですね、
まだ頭の中で形をなしてはいないのです。(どうしよう)

・日々の感動、想いが定型を得て歌になる。
・どうしても苦しい時、題詠を試みて歌を作る。
・言葉に頼ると、あるいは言葉が過剰になると、抒情は痩せる。

日々、肝に銘じているのですが、内なる泉は涸れたまま。
意を決して陸にあがった河童は、言葉の森をさまよいながら、
自分に向けられたメッセージを探しているところなのです。

ところで最近、歌会や批評会に参加して驚いたこと---
随分たくさんの方が電子辞書を持っているのですねぇぇぇ。
わからない言葉に出会ったときにすぐに知ろうとする、
言葉への飽くなき貪欲さは歌人の必須条件かもしれません。

でも公の場で、キー操作の電子音を消すエチケットは守って
欲しいな~とは、持たざるものの僻みでござる。

欲しいな~電子辞書、でもでも懐具合を確かめて、
深い深いため息をつく他ない立原であった。

贅沢は言わないから
翼なんか求めやしないから

自分のために好きに使える閑暇と(私の中の時間泥棒…)
欲しい本が自由に、衝動的に買える財布と(買ってしまうけど…)
蔵書をジャンル別に配列し一望できる書庫と
(必要な本を取り出すためには多くの障壁が…)
なまいきな一匹の猫と(昨日今年初めてゴキブリが出た…)

それだけ、我に与えたまえ!(もっと他にもあるけど…)
そうしたらよいものを書きます!(書けやしないだろっ)
(まるで芥川賞をちょうだい!とねだった太宰みたいだな)

長々と書けない言い訳をしてしまった…仕事中なのに…。

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2005/06/02

昨日こんな人が…

昨日は会社で送別会があったのですが、
宴もたけなわの頃、表を行過ぎる人が立ち止まり、
笑いさざめく姿が…。

そういえば隣りで飲んでいた同僚がふらっと外に行ったきり
戻ってこないので偵察に行くと…

Jun01_2038

お店の前でごろりと寝っころがっているではないか!
一緒に見に行った同僚の女の子と二人、
ためらいなく次の瞬間、携帯のシャッターを押していた…。
ごめんね、ぷっ!

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